〈ル・マン24時間耐久レース〉15 のトリビア, レースにまつわる面白エピソード

   

ル・マン24時間耐久レースにまつわる15のトリビア

2017年のル・マン24時間耐久レース開催日がいよいよ近づいてまいりました。

4つのクラスがある中、もっとも人気度が高いLMP1では、アウディが昨年限りで参戦を取りやめたため、今年はポルシェとトヨタの実質一騎打ちとなります。

トヨタは昨年のレースではレース終了まじかまで首位を走るも残り6分半でマシーントラブルにみまわれ奇しくも走行ストップ、今年はその雪辱を晴らすことができるのか注目が集まっています。

今日はここにル・マン24時間耐久レースにまつわるトリビアやエピソードを15集めてみました。 
 
 

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日本車の優勝はマツダのみ

過去に多くの日本メーカーが参戦してきましたが日本メーカーで優勝したのはマツダの一度のみです。

1991年マツダ787bでレーサーはフォルカー・ヴァイドラー(ドイツ)、ジョニー・ハーバート(イギリス)、ベルトラン・ガショー(ドイツ)の3人であり、日本人ドライバーは含まれていませんでした。

マツダ787bはロータリーエンジンで優勝した最初で最後のレーシングカーです。

 

日本人ドライバー優勝者は過去に2人

1995年大会でイギリスの国際開発レーシングチームに加わった関谷正徳さんが日本人としては初めて勝利を、2004年大会で日本のアウディースポーツジャパン(チーム郷)に加わった荒聖治さんが日本人としては2人目の勝利を手にしています。

 

2人で優勝した最後のドライバー

2人組みドライバーで最後に優勝したのは、ジャッキー・イクス、デレック・ベルで1982年のポルシェでした。その後ドライバーの人数は最低3人に制限されています。

 

一人で24時間に挑戦したピエール・ルヴェーの伝説

ドライバーの人数制限がなかった時代に一人で全時間完走に挑んだドライバーがいました。

そのレーサーはピエール・ルヴェー、1952年の大会で23時間にわたってハンドルを握り続けトップを走り続けていました。

しかし、ギアの入れ間違い(疲労によるもの)によりエンジンが壊れリタイア。

ピエール・ルヴェーのリタイアによりたなぼた的に優勝を手にしたメルセデス・ベンツは、そのピエール・ルヴェーをのちにベンツチームに招聘します。

奇しくもその招聘が実現された1955年にカーレース史上最も大きな事故が起こりピエール・ルヴェーは巻き込まれ命をなくすことになります。

 

1955年に史上最悪な事故が


1955年大会では、観客を含む86人が死亡し、約200人が重軽傷を負う大惨事故が起きました。

トップを走っていたマイク・ホーソーンの車がピットインするために急減速したのですが、その後を走っていたドライバーランス・マクリンが追突を回避するために左にハンドルをきりました、その急に進路変更してきた車を避けきれずにメルセデスを運転するピエール・ルヴェーが衝突し車体が空中に飛び上がりそのまま観客席の側壁に突っ込み爆発、大炎上。衝突でバラバラに分解された車体のうちエンジンやサスペンションなどが観客席に突っ込みました。

この事故は、カーレース史上最もショッキングな事故の一つで、これを機に自動車レースの持つ危険性が改めて認知され安全性向上の礎になりました。

驚くべきことは、これだけの大事故が起きていながら当日のレースは中止されることなく最後まで続行されました。「たとえどんな惨事が起きようとも、戦い続けるのがスポーツのルール」というのがレース主催者の信念だったようです。

皮肉なことに、はじめにピットインのため急減速し事故のきっかけとなったマイク・ホーソーンが優勝しました。

当事者レーサーの一人ランス・マクリンは、この事故を機に2度とモータースポーツ界に足を踏み入れることはありませんでした。

 

シャンパンスプレーの元祖

カーレースの表彰台で世界で初めて勝者がシャンパンをスプレーしたのが、1967年ル・マン大会の優勝者ダン・ガーニー選手(アメリカ)です。その後世界中のレースの表彰台でも真似されるようになりました。

 

メーカーの最多優勝数

最も最多回数優勝しているメーカーはポルシェ18勝です。
2位アウディー13勝
以下
3位 フェラーリ 9勝
4位 ジャガー  7勝
5位 ベントレー 6勝

ポルシェは最多連勝記録も保持していてその数7連勝、1981年から1987年にグループ6とグループCにおいて達成されました。

 

ジャン・ロンドーの伝説

メーカーチームではなく個人名の車で唯一優勝しているのは1980年のジャン・ロンドーです。

彼はカーデザイナー(インテリアデザイナーでもある)であり、自らデザインしたロンドーM379にフォード・コスワースエンジンを搭載し、ジャン・ピエール・ジョッソーと組んでドライバーとして参戦し優勝しました。

ジャン・ロンドーは、1985年12月列車事故により死亡しています。

 

過去の優勝メーカーは24社

過去に優勝しているメーカーチームは24社です。

アルファロメオ、アストンマーチン、アウディー、ベントレー、BMW、ブガッティー、デラハイエ、フェラーリ、フォード、ジャガー、ラゴンダ、ラローライン、マトラ、マツダ、マクラーレン、メルセデス、ミラージュ、プジョー、ポルシェ、ルノー、 ザウバー - メルセデス、タルボット、Chenard&Walcker。
 
 

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グラハム・ヒルの記録

グラハム・ヒルは、「ル・マン24時間」「インディ500」「F1チャンピョンシップ」の世界三大レースで優勝している唯一のレーサーです。

 

映画俳優の参戦

1979年映画俳優のポール・ニューマンが参戦し2位となりましたが、終始付きまとうパパラッチに嫌気がさし、その後2度とエントリーすることはありませんでした。

映画「栄光のル・マン」で主演を務めたスティーブ・マックイーンは、撮影中も代役を立てず自ら運転していたこともありのめりこみ、実際のル・マンにも出場することを強く希望するようになります。

しかし、周囲の強い反対にあいやむなく断念、後に彼の息子チャド・マックイーンが出場を果たしています。

 

名物「ル・マン式スタート」は1969に廃止

選手がスタートの合図を受け、道をまたいでレーシングカーに駆け寄り乗車後エンジン始動させてスタートさせる名物「ル・マン式スタート」は1969年を最後に廃止になりました。

選手たちの「危険だからやめて欲しい」という声に応えたものです。

1970年からは、グリッド式スターティング、1972年以降はローリングスタートを採用するようになりました。

 

最多出場レーサー

ル・マン史上最も沢山の回数出場したレーサーは、フランスのアンリ・ぺスカロロで1966年から2009年の間に33回出場しています。

最も多くの優勝回数記録を保持しているのは、デーン・トム・クリステンセンで1997年から2013年の間に9回優勝しています。

 

最多出場回数女性ドライバー

フランス女性選手アニー・シャルロット・ベルニーは女性レーサーとして最高出場者回数の記録を保持しています。1974年から1983年の間に10回レースに出場し、最高位は1981年の6位(ポルシェ935)でアメリカ人のラルフ・ケント・クークとボブ・ギャレソンと友に参加しました。

 

最も若いウィナー

過去もっとも若い優勝者は、スイスのアレクサンダー・ヴスツで21歳でした。

 

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さいごに

ハイブリッドをはじめ、ル・マンには最新テクノロジーが凝縮されていて「テクノロジーを征する者がル・マンを征する」と言われるようになり久しい状態です。

そんな中、最新テクノロジーの開発に追い付いていけないメーカーは置いてけぼりにされ、前線から徐々に撤退していきました。

このままでは、花形であるLMP1にエントリーするものが無くなっていき、ル・マンレース自体が寂しくなっていってしまう。

この問題に対処するため、今後レギュレーションが大きく改定されていく可能性も出てきています。

人々のル・マン離れを止めるためには、ある意味仕方がないのかもしれません。

 

 

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