プリンスだけじゃない!変死しているエホバの証人天才アーティストたち!

      2017/03/09

  1. ぞくぞくいる変死をとげているエホバの証人天才カリスマたち

prince

プリンスが亡くなるまで日本ではあまり知られていませんでしたがプリンスは熱心な「エホバの証人」信者でした。

エホバの証人」と聞いてピンとこない方はものみの塔と言えばおわかりになるでしょうか。

彼はエホバの証人の洗礼を受けており熱心に戸別訪問などの伝道活動にも参加していたそうです。

エホバの証人の教義では輸血を禁じています。プリンスは深刻な股関節の疾患を抱えていたそうですが輸血をする可能性のある手術治療を拒否していました。

そのため痛み止めを大量に飲み続けていたそうです。

今回の死の原因がその痛み止めの薬と関連があったのかどうかはまだ公表されていませんが、そのあたりも含め是非真相を明らかにしてほしいとファンの一人として切望します。

ところで

不思議な事に死に方が謎に満ちたあるいは変死したエホバの証人の天才カリスマミュージシャンはプリンスだけではありませんほかにも何人もいます。

今日はその中から数人ピックアップしてみることにします。

スポンサーリンク

セレナ

selena 02

日本ではあまり知られずにこの世を去ってしまったセレナですが、正真正銘の超天才ボーカリストでした。

23歳という若さでこの世を去ったセレナ、その死因は自分のファンクラブの会長に銃によって射殺されるという信じられないような最後です。

メキシコ系アメリカ人の彼女は英語だけではなくスペイン語でも完璧に歌えることができ、アメリカだけではなく中南米でも絶大な人気がありました。

いまでも中南米に行き「セレナ」を知っているかと尋ねると「当たり前だろ」という返事がすべての人から返ってきます。

私もこのセレナにはまった珍しい日本人の一人でしたが、彼女の歌を初めて聞いた時には大変な衝撃をうけたことをおぼえています。

全身に鳥肌が立ち一発でノックアウトでした。

シャキーラのような技巧派ではなくむしろ素直に声を発しているのですが、そのトーンがもはやこの世のものではありませんでした。

クイーンのフレディーマーキュリーのヴォーカルもすでにこの世を超えた場所から聞こえてくるかのような音色でしたが、それに通ずるものがありました。

セレナももし生きていたらグロリアエステファンシャキーラのレベルの存在、いやそれ以上になっていたと思います。

セレナの死因は自分のファンクラブの会長に銃によって射殺されるという最後でした。

どうし23歳の女の子を銃で射殺するかな?…

ありえねー!

私はこのニュースを聞いたとき愕然としてしまいました。

これからまだまだ開花するはずだった世界の才能があっけなく散ってしまったことに悔しくてしかたありませんでした。

もっといろいろなセレナを聞けるはずだったのに!

アメリカ大統領のジョージブッシュは当時は彼女の亡くなった日(4月16日)を「セレナデイ」にきめました。

ちなみにセレナは両親がエホバの証人で子供のころからその宗教環境で育っています。大人になってからも自ら進んで宗教活動に参加していたそうです。

セレナについて詳しく知りたい方はジェニファーロペス主演の映画「セレナ」(1997)をご覧になるとよくわかると思います。彼女の生涯がそのまま描かれています。

 

マイケル・ハッチェンス(INXSボーカリスト)

inxs01

オーストラリアロックバンドのINXS(インエクセス)のボーカリストだったマイケル・ハッチェンスもエホバの証人だったといわれています。

彼の死は業界に大きな振動を与えました。

その死に方はかなりインパクトのあるもので
シドニーのホテルで裸で首を吊った状態で死んでいるのを発見されました。

死の前に妻のポーラ・イエーツとの間で娘の養育権問題で深刻なトラブルを抱えていたそうです。

その妻のポーラ・イエーツもマイケル・ハッチェンスのあとを追うようにして死んでいます。

その死因は薬物の過剰摂取

なんといってもその後の悲劇はINXSの残されたバンドメンバーたち。

マイケル・ハッチェンスの死はあまりにも大きな痛手でした。

マイケル・ハッチェンスが生きていれば、これからますますクリエイティブな方向性でバンドは前進できたでしょうしワールドツアーなどを通じ世界レベルの活躍がもっとできたのです。

ちょっと不謹慎な言い方かもしれませんが他のパート(楽器)の代用ならいくらでも見つけることができたしバンド立て直しは可能だったでしょう。

しかし、INXSはマイケル・ハッチェンスのルックスとボーカルをバント全体の魅力にたいして大きな面積を占めることをゆるしていました

そのバンドの特徴がある意味あだとなってしまいました。

案の定、新たなボーカルメンバーを採用したりしながらバンドを継続する思考錯誤がなされたのですがうまくはいかず、現在バンドの活動は休止されているようです。

オーストラリアから出て世界的な知名度を得たバンドはほかにビージーズ,メンアットワーク、ACDCなどありますが、まだまだ少なく希少です。INXSにもっともっと長く活躍してほしかったというのがオーストラリア人だけではなく世界の音楽好きの共通の気持ちだと思います。

私ももちろん同じ意見です。

ちなみにINXSのギターリスト、ティム・ファリスは2015年1月にボート事故で指を切断するという被害に合っています。

スポンサーリンク

マイケルジャクソン

michel j

マイケルの死に関してはいまさら言うまでもないのですね。

マイケルが自宅で心肺停止で発見される前に主治医のコンラッドマレィがマイケルに処方したプロフォールという薬が原因でその中毒症状で亡くなったということになっています

プロフォールというという薬はプロポフォールともよばれ全身麻酔薬、鎮静剤薬です。

プロポフォールの本来の使用法は簡単な手術の時に使用される医療用薬物、投与開始数十秒で患者は意識を失い、また投与中止後は10分前後で意識が回復してきます。点滴または注射器で投与します。

陶酔感や快楽感を伴うこともあり、韓国芸能界に使用者が拡大したこともありました。

その液体が不透明で白く光る液体だったため通称「牛乳注射」と韓国では呼ばれていました。

しかしマイケルの死因が医師の過失であったとしてもどうしてマイケルは死ななければいけなかったのかと言う疑問が残ります。

「陰謀説」、「裏組織によって殺された」など様々な憶測がなお今も飛び交っているのが現状です。

そのマイケルもエホバの証人だったというのは今や有名な話ですね。

ノートリアス・B.I.G(ビギー)

nbig

ノートリアス・B.I.G(通称ビギー)はニューヨークブルックリン生まれ。90年代に活躍したラッパー。数々のヒット曲を残していて、アルバム「Life After Death」は1000万枚のセールスを記録しています。

彼の場合もまったく信じられないような死に方をしています。車でドライブ中、赤信号で停止していた時に、となりに止まった車の運転者が発砲をしてきて4発の銃撃をうけました。病院に搬送される途中で息を引きとったそうです。

1990年代半ば、東海岸と西海岸の二つのヒップホップメジャーレーベルの間に亀裂が入りその抗争が深刻な状態になっていました。

俗にヒップホップの東西抗争と呼ばれるものです。

結果的にはこのノートリアス・B.I.Gと2PACという二人のラッパーが命を失うことで抗争は終結をしました。

1997年1月ノートリアス・B.I.GはLAで行われた「ソウル・トレイン・アワード」というブラックミュージックの授賞式に出席し、そのあとのパーティーにも出席しました。

パーティーが終わり、サバ―バンに乗って移動している途中、赤信号で停止していた時に、となりに止まった車の運転者が発砲をしてきて4発の銃撃をうけました。

犯人はいまだ捕まっておらず事件は未解決のままです。

ノートリアス・B.I.Gの父は彼が2歳の時に蒸発し、その後は母親に女手ひとつで育てられました。その母親が「ものみの塔」信者だったそうで、ノートリアス・B.I.Gはその宗教環境の中で育ちました。

むすび

ある人々は言います「彼らの死に方と宗教には何の関連もない」と。

しかし、私はこの考え方を素直に受け入れることはできません。

彼らの持っていた異常な才能異常な死にかたを見た後に「彼はエホバの証人だったのよ」と聞かされた時に妙に納得するものが私にはありました。

なるほどね!…

皆さんはどう受け止められましたか?

最後までご覧いただきありがとうございました。

 - セレブ